パキスタン余話
飯田 進
パキスタンの北部はヒマラヤ、カラコルム、ヒンズークシと、三つの巨大な山塊の中にあります。
この三つの山塊を削って、インダス川を主流に、西からギルギス川北からフンザ川
東にはシャイヨウク川と、それぞれ氷河を源頭に頂き激流となって流れ込んでいます。
川は山肌を削り、大きな断崖をなす峡谷を造って流れ、インダス川でさえ、
川幅はせいぜい200mくらい。その峡谷にわずかに開けた台地に猫の額ほどの土地を耕し、
ヒツジや山羊を飼って人々が暮らしています。ヒツジ飼達はこの崖地に僅かに生える
雑草を求めて移動しています。彼らの住まいは、石垣の上にポプラの木を載せ、
その上に砂を固めて漆喰とした、陸屋根式平屋造り。窓は小さな通風兼明かり取りの窓が一つ。
食事は小麦粉で作ったチャパテイが主食で、いろいろな豆を煮込んだダールが副食、
それにミルクテイと実に質素であります。そのような生活環境におかれている彼らを、
日本人がみると、違うなアと思うことがよくあります。
その1
彼らの生活水は谷川の水、上部の谷から水路を造り引いています。その水路はたいてい
崖の中腹を削って通しています。その作業には村中で行い、勿論子供も参加します。
従って彼らの岩登りのバランス感覚の優れていること。
バルトロ氷河の入口にステステ村という村があります。村の背後には高さ1000mを
越える垂直の岩がそそり立っています。その頂上が望める処まで来ると、頂上に沢山の
ケルンが積んであるのが望遠鏡で見えました。望遠鏡が珍しいのか、そばに来ていた
14,5才の少年が、”あれは村の人達が積んだもの、俺も積んできたよ”と言って、
その場でたちまちケルンを作ってくれた。そのケルンは角柱で、少々け飛ばしても
びくともしなかった。彼らは石を扱うのは、ガンダーラ以来の伝統か。
それにしてもザイルもなしに、何の目的で、あんな高いところに。
その2
ナンガパルバット(8125m)の北面に、ラキオト氷河がながれています。
その舌端の左岸にフエアリーメドウと呼ばれる、名前の通り美しい牧場があります。
標高3200m前後の台地に針葉樹林が生い茂り、その先にナンガパルバットが
悠然と聳えたっていて、トレッキング観光の名所になっています。
その対岸に小さな村があり、村の人達は氷河を渡って行き来しています。
いましも7,8才くらいの子供達が氷河に降りていきました。氷河には崖っぷちを
へつって降りていくのですが、上から見ていると、子供達は氷河の上をあっちへ
行ったりそっちへ行ったり、クレバスに阻まれながら、右往左往してなかなか対岸に
たどり着けません。そうこうしているうちに、父親がやって来て、氷河に降りていきました。
父親は迷うことなく氷河を渡っていきます。子供達は父親を見つけて一緒になり、
親子で仲良く渡っていきました。
日本でもし氷河があったとしたら、その上を子供達だけで渡らせるでしょうか。
その3
あるホテルで朝ご飯を食べていました。メニュウは7p角、厚さ7ミリくらいの
食パンをナプキンで包んで駕籠に入れて持ってきてくれます。あとはバターとジャム。
朝ご飯を終えボーイを呼んで、テルモスにホットウオーターを頼みました。
OKサーと気軽に応じて持ってきたのが、どうも怪しい。それで中身を確かめたら、案の定水。
そこでボーイに”これは水ではないか、頼んだのはお湯だよ”と言ったら、
”それじゃ俺についてこい”ときた。連れて行かれたのは炊事場。
そこにある湯沸かし器のお湯の出口を指さして、
”俺はここから出てきたのをテルモスに入れたのだ”と文句でもあるのかいな、とすまし顔。
お湯の出口から出たものは、それが水であれ何であれ、彼に言わせれば
”お湯”なのでありました。
その4
パキスタンはその戒律によって”禁酒”の国であります。山に登る時はまだしも、
降りてきたとき、緊張が取れるとともに、長い間の禁酒が禁断症状を引き起こして、
それはそれは、もう耐えられないくらい、お酒が欲しい。でもパキスタンは
非酒三原則を守っていて、作らない、売らない、飲ませないのであります。
誠に気の利かない殺生なお国であります。なんとか酒を、と探していたら、
ノンアルコールビールでクラウスターラーという飲み物がが見つかりました。
これでせめてビールの感触をと、買うことにしてボーイに値段を聞きますと、
500ミリリットル入りのボトルが300円と言います。少々高いが、
なにせ禁断症状を引き起こしていますので、買い求めることにして、
冷えたのを持ってくるよう頼みました。持ってきたのが350ミリリットル入りのボトル。
これしか在庫がないそうで、しかたなくもらおうと値段を聞いたら”300円”ときた。
500で300円のものがなぜ350で300円なのか、間違っているんじゃないの?
と聞いたら、ボーイ曰く”あれもこれも同じクラウスタ-ラー”とすましていいました。
その5
ある谷の最奥の村での話。我々の前に、それはまあ格好のよい青年が馬に乗って現れました。
この青年、我々のベースキャンプにも訪れて来ました。その時は鉄砲を担いでいました。
彼はガイドと立ち話をしていましたが、やがて何処とも無く去っていきました。
暫くして銃声が二発聞こえ、やがて格好の良い青年が、野鳥を二羽ぶら下げて帰ってきました。
二発で二羽とは大した腕前です。鳥は鳩とコジュケイを足して二で割ったような鳥で、
後で食べたらかなりのものでした。名前は聞いてもややこしい発音なので、
邪魔くさいからお互いチキンバードと呼び合っていました。彼はこの二羽を我々に提供して
返っていきました。彼は村の村長さんのご子息とかで、帰途ポーターとトラブルに
なったときも、中に立ってうまく纏めてくれました。そして翌年、彼の話題が出て、
消息を訪ねたところ。
今臭い飯を食っている、とのこと。訳は彼の村は人口50人、隣村が52人、
これでは勢力が均衡しない、で隣村の二人を減らした、と言うことでした。
あれだけ格好よければ、二人くらい生み増やすくらい訳もないのに、趣味と実益を兼ねる
絶好の機会なのに、考え方がちがうのですかね。
その6
イスラマバードのホテルでのこと。遠征から帰ってホテルに着いて、明日の帰国を控えて
リュックの中身を整理すべく、部屋中にまき散らしたまま、朝食に出かけました。
帰ってきて、部屋を空けようとしたら、内鍵がかかっていました。中に誰かいるようです。
泥棒!一瞬身構えたのですが、すぐに中から応答があり、二人の青年が顔を出しました。
おまえは誰だ!とお互いに言い合いましたが、小生部屋の鍵を出して、”この部屋は
206号室だろう、おまえ達のを見せろ”と言ったところ、彼らの持っていたのは
216号室のものでした。彼らは平謝りに謝って、荷物を小脇に抱えて飛び出していきましたが。
収まらないのはこちらの方。ホテルの支配人を呼んで、なぜ彼らが部屋を間違えたのか、
なぜ違う部屋の鍵が使えたのか、万が一鍵が使えたとしても、部屋の中を見れば、
人が居る位のこと一目瞭然、盗人ではないのか。いくらパキスターニが呑気でも納得いかん、
警察を呼んでこい、となり。結局半日かけて解決、ホテルが小生達に詫び状を書く
と言うことで決着が着きました。彼らが部屋を間違えたのは単なるミス、鍵が使えたのは
206号も216号室も同じ鍵だったため。また部屋の散らかっていたのは、友達を訪ねて来、
その友達が散らかしたまま外出していたと思ったからとか。それにしても、ホテルもずさんすぎる。
金が無くて同じ鍵をいくつか使うなら、間違いの起こらないように、せめて間違えようのない
部屋番どうしとか、完全に離れた部屋同士とかにできないものでしょうかね。
後日談として。詫び状は帰国後一週間して届きました。そして今年二年ぶりで訪ねたら
一昨年と同じ形の鍵を渡されました。
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